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Author:うらーら
フィリピン語を勉強する女子大生。エモーショナルに生きる日々です。



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お別れ
もしかしたら、フィリピンに来て初めてできた友達の一人と、もう会えなくなるかもしれません。


彼女は下宿先で働いているお手伝いさんです。でも彼女は「お手伝いさん」ではなくて、私の友達。彼女は昨日、三年ぶりに故郷に帰省していきました。

「二週間で戻ってくるから、その間よろしく」って言ってた。

ウチには二人のお手伝いさんがいるけど、一人がさっき、「もうあの子は帰ってこないよ。昨日家を出る時に泣きながら、『もう帰ってこない、ごめん』って言ってたもん」と教えてくれた。

この家に来てから、少しずつメイドと雇い主の関係、そして現代のフィリピン家族の実態を知った。
ウチの大家夫婦はもうおじーさん、おばーさんで、おばーさんは病気で車椅子生活です。しかも痴呆症も患ってるし、看病が大変。隣に息子夫婦も住んでるけど、介護はお手伝いさんにまかせっきりです。昨日帰っていったAは、もう10年間もこの家で働いています。十代からこの家で働いていることになる。しかしおばあさんの病気が悪化した3年くらい前から、故郷にも帰れず、一日中家に縛られ続ける日々です。だって、介護だから。外出もできない。家族は散々介護をやらせておいて、何でも命令しておいて、食費などの十分なBudgetを与えていないことも最近わかりました。私が払ってる家賃がちゃんと生活のために回ってなかったんです。しかも給料は安い。

こういうことが問題で、お手伝いさんは転職のための準備をしていた。二月の話だ。私はできることは協力した。会社に出す推薦状をパソコンで作ったり、一緒にSocial securityで彼女たちの身分証明書を手に入れるための情報を提供したり。二人とも、学歴は高卒程度だから、色んなことが始めて。私は外国人だって言うのに、会社に出す書類の形式や、印刷など、私がチェックした。
一時は軌道に乗った転職準備も、息子夫婦の説得で振り出しに戻った。
「マミー(つまり自分のお母さんだよね)は12月までもたない、死ぬまで待ってくれ」

「うらーらが来る前は、朝ごはんのパンももっと大きいの買えたんだけどね」
とすまなそうにする彼女たち。雇い主から渡される予算が足りなくて、彼女たちの少ない給料から食費などを出していることもわかった。食費をもっと出してくれるように雇い主に頼むと、「何で節約しないんだ!」と怒鳴られるそうだ。「怖いからもう言えないの」と彼女たちは諦めモードだ。もう私は耐え切れなかった。

今は物価も上がってるし、もうちょっと家賃値上げしてもいいよ、って提案した。お金を払ってすむ問題じゃないかもしれないけど、やっぱり結局お金が必要なのは事実だった。こういう形の助け方ってどうかとは思ってたけど。お手伝いさんや家主さん含め、「本当にいいの?」とびっくりしつつも「本当に助かる」と心から言われた。


日本の親に了解得るために電話したら、あんたがお金払うだけで、あんたの家の問題は解決するのか?とお母さんに言われた。それは本当だ。お手伝いさんは予算の問題にしろ、自分の労働条件にしろ、強くいえない。なぜなら雇われの身だし、従うことが条件だからだ。でも私はクライアント。お金を払ってるんだから、ちゃんと大家さんに話ができるはず。しかも「日本人だからつけこまれてるのかもよ」って言われて、不信感も出てきた。私ただの、お人よしかも。

でもお手伝いさんに「やっぱお金払えない、ちゃんと大家さんと話すべきだ」って言ったら、「うらーら昨日言った事と違うじゃん!」みたいなことを言われた。その時に、何となくお金にシビアな二人の本性が見えた気がして、やっぱり不信に思った。しかもいつもは優しい大家さんも、二人のお手伝いさんにしてることを考えると、やっぱり不信に思わざる終えなかった。何か腹が立って、でも悲しくて、そして辛くて「私が日本人だから、みんなもっとお金を払わしてもいいと思ってるのか」とか「何で大家さんと話し合わないの?」とか言って、感情的に当たってしまった。

一通り話が終わった時、「私たちはうらーら達に、お金なんて払わせたくない。私達を助けようとして、そういう提案してくれたんだよね。今はとりあえず大家さんたちも予算直してくれてるし、大丈夫だよ」と彼女達は言い始めた。でも私が感情的に怒ったことに対して、困惑しているようだった。私は自分が何をしたいのか、どうすれば助けられるのかがわからなくなって、泣き出した。本当は首をつっこまずに、何も知らないフリして、今までどおりにすればよかったのかもしれないけど、私はイヤだった。
二人はびっくりして、「ありがとう、私達を助けようとしてくれて。でも、もう大丈夫。今までどおり!なかったことにしよう」と何度も言ってくれた。

次の日、ちょっと怖かったが、お金を管理してる大家さんの息子さんと話した。予算が足りてないということを聞き、今までの家賃では足りないのか?と。そしたら意外にも大家さんは、今までで大丈夫だよ。と言った。さらに、今の家の状況や、どういうことにお金がかかってるかも説明してくれた。何も知らないままにフィリピンでお世話になり始めたけど、家の状況がちゃんとわかった気がした。彼は私にも予算を考え直すことを約束してくれた。この話をして、お手伝いさんも「もう問題はないね!」と言ってくれた。その日の晩ごはんが私の大好きなアドボにしてくれたのは、二人の気遣いが感じられた。

ずっと帰省することもなく働き続けてきた彼女達に帰省の許可が出たということは、彼女達の願いが聞き入れられ、労働条件も少し改善したということ。でもその矢先にもう帰ってこないという話を聞いたから、すごく寂しい。昨日は朝から舞踊で、出発するAにゆっくりあいさつもできなかった。そういえば何ヶ月か前にも彼女達のお手伝いさん友達である女の子が脱走していた。

そういえばAは子供がほしいって言ってたな。彼女のお姉さんの家に遊びに行った時、お姉さんの小さい子供と一緒に、今まで見たことのないような笑顔で遊んでた。貧しいけど、今の生活よりもっと自由で、幸せな毎日を過ごしたかったのかもしれない。

毎日同じことの繰り返し。いつ変わるかわからない労働条件。私は彼女たちの状況を本当の意味で理解することはできない。今回のことで、彼女達のことをわかったような気にもなりたくない。「私は他の日本人と違うよ、あなた達の味方だよー」みたいなことも思いたくない。ただ自然に彼女と友達だったということ。リスペクトを持って付き合っていた、付き合いたかったということ。




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この記事に対するコメント
それこそがきっとフィリピンで生きる意味だと思う。うららがしたことは結果広い意味での本質には何も変わらないかもしれないけど 行動をしたことこそに意味があると思う!!!そのどうにも辛い、どうにもならないという思いはきっとその後の自分を豊かにする。 そしてうららと関わった人たちには伝わってるよ 絶対。一対一で向き合ったら必ずどこかでそういうことが起こる。

それしかできないって悩むより、それができたことが俺は素敵だと思う。俺がフィリピンでずっと悩んでたことを思い出して 辛いけど なにか懐かしく 友達に会いたくなった。ありがとう。
【2008/04/13 11:31】 URL | sou #-[ 編集]

留学するとさ、やっぱりその社会に入らないと分からない暗い部分が見えるよね。
でも、うららが「したい」と思ってやったことだと思うし、動かなかったら何も変わらなかったわけで、私はうららのやったことは間違ってなかったと思うよ。

うららの中でいろいろ変わったってことが、素晴らしいことだと思うし、そういう機会をくれたお手伝いの女の子にも感謝しないとね…

私もタイに帰りたくなりました…
【2008/04/14 16:11】 URL | おイモ #-[ 編集]


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