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Author:うらーら
フィリピン語を勉強する女子大生。エモーショナルに生きる日々です。



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女、25歳
最近、感情のコントロールができてない。
いつもイライラしていて、心に余裕がない。
会社の先輩にも、自分でもびっくりするほどトゲトゲしてしまう。
ウチの会社じゃなければ、クビになってるかも。
笑顔をつくることもできない。


どうしてこうなっちゃったんだろ。

社会人になってから、ずっと自分に問いかけてきた。
前はもっと周りに気を使えたよね?和を乱すようなことを
しなかったよね?笑顔もあったよね?

こんなふうになったせいで、こじらせてしまった関係もある。
一言でいうと、女として、可愛くなくなっちゃったってことなんだよね。
あ、やっぱりか、って思ったけど、心は傷ついた。

バランスがとれてなくて、ふーっと息をつきたいけど、休みがない。
ぼーっとさせてもらう隙間もない。
張りつめてる間はいいけれど、そうじゃない瞬間、孤独みたいなものを
感じてしまう。

地面をはいずりまわる虫みたいに思うときもある。
プライベートも楽しんで、同じ年頃のたくさんの同期に囲まれて
楽しくやっている妹や大学の同級生がうらやましくなったり。
「楽しくやりなよ」なんて言われることが無責任に感じて、いらつく。

夜中、苦しくなって友達に電話した。
「今の自分を認めてあげられてないんだね」って言われて、
そっか、と思った。 

「今みたいになったのって、今いる環境に順応しようとした結果でしょ。
今いる環境では役に立ってるんじゃない?」


うん、そう。取材を仕切ってる自分がはっきり物事を言わないと、
逆にクルーに迷惑をかけるし、真実を追及できない時があるの。


「じゃあいいじゃん。そのうち、本来の自分と順応するうちに変わった自分が
バランスとれるようになるよ」

ちょっと心が軽くなった。今の自分を認め、受け入れられるようになりたい。
なかなかすぐには難しいけど、きっとそのうちできるだろう。
今はゆっくりと自分を見つめたい。



悲しさ、のちに笑顔
ご無沙汰してました。

いっぱいいろんなことがあって、この数ヶ月間は文字通り「突っ走った」という感じ。

お仕事。
6月にたまたま震災の取材手記の依頼があり、TBS系列の全国の局に配られる広報誌に載りました。
そのことがきっかけで、7月下旬に、TBSから手記のドキュメンタリー化の話が。
たった8分の枠だけど、自分のナレーションで、記者として、1人の人間として、1人の青森県民として
震災とどう向き合ったのかを「素直に正直に」語っちゃってください、という趣旨で。
不安ながらも、もがきながらも、まわりにどーこー言われながらも作りました。

震災から半年後の9月11日、他の全国のTBS系列の記者の作品と一緒にTBSで放送されて、その後はトントントン~と。
横浜の放送ライブラリーで上映会が行われ、11月は全国の記者たちが集まる研修会に
パネリストとして呼ばれ、そして文化庁の芸術祭のドキュメンタリー部門への出品が決まり…。

私の題材は、記者ならば誰しも思ったことがあるであろう、マスコミのきたない部分というか、
腹グロさというか、そういうのを素直に表現したものだったのだけど、
反響がなかなかあって。素直にありのままのことを口に出し、世に送り出すことの勇気とか
大変さ、責任などを改めて感じました。

そのことがきっかけで…というのは何なんだけど、
先週、セルビア共和国に行きました。
大学時代のフィリピン民族舞踊団が、現地の日本大使館に招待されたから。
テーマは3月の震災のときにセルビアとかから支援をもらったお礼、ということだったので、
岩手のさんさ踊りも覚えて。
正直、仕事と踊りの練習のために東京にちょくちょく通うのは、
体力的にも、精神的にも、そして金銭的にもきつかったけど、
(みんなにもよくやるわ~と半分あきれ顔されて)
行って本当によかったなあ、と思いました。

震災の取材について英語でスピーチさせてもらう機会もあり、
世界各国から集まった留学生の前で、セルビアの大学で、
そして、在セルビアのアセアン諸国の大使たちの前で…となかなか
緊張するシチュエーションだったし、ぎりぎりで原稿渡されて不満もブーブーなときも
ありましたが、いい機会だったと思います。

しかし、また踊りで救われたなーと思った。
10月の終わりに、とても悲しいことがあって、これから自分はどうなってしまうんだろう、って
思ったことがあったけど、踊って、久しぶりに思い切り笑って、自分を表現して、
ちょっと心が休まりました。

思い返せば、大学時代から踊りは、いつも悲しいときに、自分の自信がなくなったときに、
そばにいてくれたと思う。
踊ることで色んな人たちと出会い、自分を知り、前向きになれてきたと思う。
心は快晴!!とまではいかないけれど、自然に元気になればいいかな。

さあさあ、年末に向けて仕事に追われます。
合間にこんなことしてるから、帰りが遅くなるのかw










B型再考
・寄せ書きには必ず「芯があって自分をしっかり持っている人」とか書かれる

・でもそれを見てなんか泣きたい。この人もやっぱり分かってなかったガッカリと思う。

・だから、そう書く人ってたいがい自分のことをわかってくれない。違うんだよな~そうだけど違うんだよ。

たまたま読み返したB型自分の説明書で、深く共感する一節に出会った
B型だから、っていうことではないけど。

「口下手」「根暗」などのキーワードにも共感。

死に触れて
最近、7月に取材をした女性からメールをもらった。
スポーツ大会に参加したり、大好きな水泳をして楽しんでいます、という内容だった。
嬉しい。彼女は「元」白血病患者だった。


私が、その女性、Yさんと出会ったのは6月の終わり。
白血病を克服し、今度、地元のマラソン大会に出ようとしていたYさんを
取材する話が持ち上がったのだ。

Yさんはとても小柄で、私の高校の先輩だった。
彼女は、私の高校の真正面にある実家で暮らしていて、
彼女の部屋から懐かしいグランドが見渡せるのが印象的だった。

その頃の私は、母親のことで悩んでいた。
母親は4月の上旬に胃がんの手術を終え、GW後に退院した。
自宅での療養が始まっていたが、母親の体調は勿論、精神的な不調が気になっていた。
母親は、焦っていた。思うように動かない体と、仕事を辞めた喪失感。
そして、自分が本当に回復するのか、ということへの不安。
毎日「私は社会から置いてきぼりにされている」とか
「何か自分が生きている、と感じられるようなことがしたい」とかつぶやいていた。
自分への焦りがイライラに変わり、ワガママになっているように感じられた。

私は、そんな母親に何を言っていいのかわからなかった。
そして、ライフスタイル合わない。
どっと疲れた休日。朝から寝ていたい私と、朝はかろうじて元気な母親。
「温泉に行きたい」「おいしいランチが食べたい」

私がなんとか起き上がって出かける頃には昼が過ぎていて、
その頃にはもう母親に外出する気力が残っていない。当然、タイミングが合わなくて喧嘩。
自己嫌悪と母親への心配と、休まる心地がしないブルーな休日が続いていた。

話をYさんに戻そう。
私は、Yさんの闘病の話を聞くうちに、「今の母親の状態そのものだ」と思った。
「白血病と診断された日、即入院といわれたの。荷物だけ取りに家に戻ったけど、
もう一生この家に戻って来れないんじゃないかと思ったの」
「夜、病院に一人でいるとき、このまま目をつぶってしまうと、そのまま目が覚めないんじゃないかと
思って怖くて仕方がなかった」

そして病気になる前は、バリバリのキャリアウーマンだったYさんらしい言葉。
「手術が成功しても、なかなか動けなくて。
私って、何も社会の役に立ってないんじゃないか、って思ったの」

私も母親の話をYさんに一通りしたあと、うっすらと自分の目に涙が浮かんでいるのに気づいた。
Yさんの話に母親の姿がだぶったのと、元気なYさんを見ていると「母親も元気になるはずだ」と
感じたからだった。よし、母親にもYさんが頑張っている姿を見せてやろう。
私の(個人的な)取材の目的が決まった。

白血病への理解を深めるために、Yさんが参加している患者会も取材した。
患者だけではなく、家族を白血病で亡くしたりした人たちも参加していた。
今までほとんど家庭を顧みず、仕事ばかりをしてきたが、
大学生の息子を白血病で亡くし、それ以来、骨髄バンクの普及活動に奔走している男性。
元気になった患者さん。

みんなそれぞれ、死を身近に感じ、今を一生懸命生きている人ばかりだった。

私は、自分も骨髄バンクに登録した。取材のために登録したのではなく、
身近な大切な人が目の前で弱っていくのを見ることの辛さ、切なさ、そして
死がよぎる恐怖を母親の闘病を通して、初めて知ったからだ。
前から思っていたことを、ついに実行できた。

白血病の治療のためには、同じ赤血球の「型」を持っている人の骨髄液を移植する必要がある。
しかしその「型」が合う確率はきわめて低く、家族でも合わない場合が多い。
ドナーが現れるまで、患者さんは待つしかないのだ。

取材を終えて、今でも思い返すことがある。
患者の皆さんが口々に話していたこと。

「世の中全てのものに、ありがとうって思う」

自分が生きていることが、当たり前ではない、ということを
死を身近に経験して知った人たちの言葉。

ある男性の患者さんは「病室から見る何気ない風景がなんと美しいんだろうと思った。泣けてきた」と
闘病中のことを振り返った。

失うまで気づけないことが、世の中には多すぎる。

手術から半年が経ち、母親の回復ぶりが目覚しい。
仕事をしているときは、ほとんど料理をしたことのない母親が、
毎日レシピを見ながら、台所に立っている。
朝も夜も余裕がなくてお惣菜ばかりだったウチの晩御飯が、手作り料理に変わった。
体重が10キロ以上落ちたけど、私と服を兼用するようになって浮かれている母親。

Yさん、やっぱり言ったとおりでした。あの時、元気をくれてありがとうございました。
















お勉強ができる、とは別のこと
今日、取材で話した大学生の男の子。
見た目は今時の草食男子だが、話がきちんとできる子だなあと思った。
自分のことを、自分の言葉で話せる。緊張している風ではなく、自然体でいるのも好印象だった(あくまで取材で、だ)
学生の選挙の投票率を上げるための活動をしているのだそうだ。


大学のレベルは、言葉は悪いけどFラン、ってやつ。だけど、それとこれとは別なんだなーとつくづく感じた。うちの大学で、「入ったもん勝ち」って顔でグダグダ過ごしてたヤツの何倍もいいよ。


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